今年1月に永青文庫へ行った際に、近くなので寄ろうと思ったら、春まで休館中。
それならば、鳩山会館はバラが有名なので、シーズンまで待つことにした。
公式サイトのブログでバラの満開を確認して、早速、最寄りの護国寺駅より鳩山会館へと向かう。
行きすがら、午前中には完売してしまうと諦めていた、「群林堂」の豆大福がまだ残っているのを発見!好物の豆餅とともにゲット。
目的地ヘは、前に地図で確認して、音羽通り沿いに会館があると覚えていたが、一応グーグルナビで確かめる。
案内に沿っていくと、細い脇道に入り、急な坂道の階段を上る指示が出ている。
しんどいなぁと思いつつ上り切り、住宅街の小道を彷徨って、やっと着いたと思ったら、なんと、鳩山会館の建物の裏の塀にぶつかる。
やられた!と思ってもあとの祭り。
建物名を指定すると、それが建っている地点にナビされてしまい、必ずしも入り口には辿りつかないのだ。
特に広い敷地の場合、こういう誤差が生じてしまう。
とりあえず、塀沿いに入り口を探していくと、また坂道の急な階段を下りることになる。
すると、「石川啄木の上京下宿跡」を示すプレートがあった。
この右隣は鳩山会館の塀である。
ここからまた、急な坂を下ることになる。
ぐるりと曲がる一本に繋がった坂を下りきると、またプレートがあった。
この坂は「八幡坂」と呼ばれ、帰ってから調べてみると、最初に上った坂は「鼠坂」ということがわかった。
そして、地元の人しか分からないような裏路地を通って、何とか鳩山会館の入り口に着く。
なんのことはない、もともと頭の中の地図にあった音羽通り沿い、つまり、群林堂前の歩道をそのまま真っすぐに行った左手にあったのだ。
こんな単純な道を間違える人は、他にいるだろうか?
自分でも、情けないというより、呆れるというか、もう、なかったことに決め込む。
それにしても、先日の樋口一葉ゆかりの菊坂といい、文京区が、いや東京が、これまでもあちこち歩いてきて、いかに坂道が多い地形であるかを実感する。
そして、其処彼処に著名人に纏わる足跡が残っており、先人たちの暮らしぶりや息遣いとともに、その土地の歴史を共有できるのは、非常に興味深くもある。
やはり、なかったことにするのはもったいない。
鳩山会館は、とにかく広大な敷地で、要するに、音羽通りの低地の入り口から、玄関に至るあの坂を上り切っ高台に、鳩山家が住んでいたお屋敷があるということだ。
つまり、坂道は歩くのでなく、車で行くのが前提となっているのだろう。
ということで、また行きと同じように、坂道を上って、足腰を鍛える羽目になった。
美しい新緑の木々を見上げながら、坂をゆっくり歩くと、立派な佇まいの玄関付近にたどり着く。
エントランス上方の壁には、鹿と鳩のオブジェが。
外から庭の方を見てみる。
本日の訪問目的の一つでもあるバラが、綺麗に咲いているのが見える。
早速中に入ると、広々とした客間と、庭を見渡せる大きな窓がまず目に入る。
さっそく、館内見学の前に一休み。カラカラの喉を潤す。冷たい飲み物はすべて売り切れだったが。
第三応接室(食堂) |
まさに、「ノブレス・オブリージュ(高貴なる者に伴う義務)」の実践なのだろうか。
ご婦人の視線の先には、やはりこの人が。
第一応接室のとなりに、第二応接室がある。
ここはまさに、戦後政治の重要な局面を切りひらく舞台となった場所でもある。
「この洋館を建てたのは一郎で、ここを舞台に、戦後政治の画期となった自由党(現・自由民主党)の創設が計られ、また首相として決断した日ソ国交回復の下準備も行なわている。」(鳩山会館公式サイトより)
そして、第二応接室からサンルームにつながり、庭に面して3室の空間が連なるという、開放的な設計となっている。
2階に上がる踊り場のステンドグラス。
階段を上った正面には、広々としたホールがある。
二階大広間 |
窓越しに庭を見下ろす。
二階は他に、一郎、薫(一郎妻)、威一郎それぞれの記念室がある。
薫記念室のバルコニーから見えるタイサンボク。
鳩山会館は、関東大震災後の大正13年に、鳩山一郎の友人、岡田信一郎の設計によって建築された。
岡田は、丸の内の明治生命館(1934年)の作品で有名な建築家である。
「鳩山会館の美術的価値」(公式サイトより)
私の亡父が生まれた年に建てられ、同じ年を重ねてきている鳩山会館には、ちょっぴり親近感を覚える。これからも修復されつつ、歴史的建造物として、できるだけ長く残って欲しい。
さて、ギラギラ眩しい太陽の下、サンルームから庭に出てみよう。
やや見ごろを過ぎたバラもあるが、洋館の庭に相応しく、綺麗に手入れされている。
マチルダ |
ジョン・F・ケネディ |
芳純 |
ピース |
庭から見える建物の、整然と並んだフクロウのオブジェ。
鳩山一郎銅像 |
なぜか、洋風会館にはちょっと不釣り合いな特大のタヌキの置物が。
大きなスモークツリー。
屋敷も庭も十分見学できた。一度、あのソファやサンルームの椅子で、まったりしに来るのもよさそうだ。
帰り際、もう一度、庭のバラを振り返る。
帰りは、行列のできるパン屋のある銀座に出るつもりで、江戸川橋のほうへと歩くが、やっぱりやめたとなって、池袋に戻る。
東武デパート3階のカフェ・コムサに入って一息つく。バナナとチョコレートのケーキが、とっても美味しかった。
帰ってから、まさかの豆餅と豆大福2個ずつの完食。
和菓子が苦手だった私が、つぶあんだけは食べられるようになったとはいえ、こんなにぺろっといってしまうとは、これからの脅威でもある。
この甘味カロリーオーバーの落とし前をどうつけるか。
これも、なかったことにしたいが、そうはいかない。すべては、6月以降の健診3ヵ月前のダイエットにかけるしかないが、いつ始めるかが問題。
豆大福を食べながら、東京の坂道についてネット検索していたら、いくつかの興味深い記事やサイトが見つかる。
・東京23区の坂
・東京坂道ゆるラン
・タモリも大好き! 山と谷が入り組んだ街、東京の「地形」を楽しむ
・スリバチ観察から東京の何が見えたか?
これで、先日友人が話していた東京の地形についてのイメージが湧いてきた。
それにしても、鳩山会館への往路で間違って上った「鼠坂」は、森鴎外の小説にもなっていたとは、つゆ知らず。
上りは鴎外、下りは啄木と、鳩山会館への迷い道(坂)は、近代の悩み深き先人たちの迷い道(坂)でもあったようだ。
東京巡りの興味は尽きない。
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