今日は、表参道の太田記念美術館で開催中の「江戸の絶景 雪月花」を見に行ってきた。
本当は、その前の「お笑い江戸名所~歌川広景の全貌」展に行きたかったのだが、ついうっかり見逃してしまった。
このズッコケぶりが、たまらない!
また次に開催されるであろう、広景の展示会を楽しみに待つとしよう。
太田記念美術館は、東京メトロの明治神宮前駅より2分とあって、自宅からは45分で着いてしまう。
原宿ラフォーレの裏玄関の真向かいに位置する。
地下一階は、手ぬぐいショップのようだ。
早速、入館してみると、こじんまりとした1、2階の2フロアの展示会場で、ちょこっと立ち寄って見るのに、ちょうどいい広さとボリュームだ。
これならば、じっくり鑑賞しても疲れない。
今回の「江戸の絶景」では、東京の風景の今昔が比較できるかと、楽しみに訪れたのだが、江戸というのは、地域ではなく、時代を指していた。
江戸時代にも、日本各所の絶景ブームがあった!ということで、人気の浮世絵師が描いた、その名所・景勝地の絶景や風景画を、季節や花月などのテーマごとに展示する、というコンセプトだ。
2014年流行語大賞にノミネートされるほど話題となった「絶景」。今なお国内外の絶景を紹介するサイトやテレビ番組は人気ですが、実は江戸の人々も現代人に負けず劣らず絶景が大好きだったようです。江戸時代後期、各地の名所や歴史を絵入りで紹介する地誌が刊行され、浮世絵にも全国や江戸市中の景勝地、奇観が数え切れないほど登場するようになります。絵師たちは四季に彩られた麗しい景色はもちろん、人里離れた秘境や、断崖絶壁に寺院が建つ幻想的な絶景もとらえています。さらに空想上の視点―遥か上空から見下ろす―なども駆使し人々の想像を超える「見たこともない景色」を次々と描き出していたのです。
本展では歌川広重を中心に葛飾北斎、歌川国芳などが描いた絶景を「雪」「月」「花」「山と水辺」「寺社」のテーマにわけご紹介いたします。美術館での絶景めぐりをお楽しみください。(太田記念美術館HPより)
やはり、風景画の歌川広重が圧倒的に多く、次に北斎、そして、豊国二代目や、今を時めく!暁斎、国芳まで出揃っているので、嬉しくなってしまった。
しかし、ひときわ目を引いたのは、初めてその名を知る、歌川貞秀の作品。
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歌川貞秀「神奈川横浜新湊港崎町遊廊花盛之図真景」 |
春爛漫の港崎(みよざき)遊郭。幕末、横浜港の開港後に開業した遊郭ですが後に焼失。現在は横浜スタジアムのる横浜公園となっています。(太田記念美術館 twitterより)
俯瞰図で捉えた春の遊郭の、華やかさ、艶やかさ、賑わいが、こちらまで伝わってきて、パッと花開くような、ワクワクした気分になってくる。
貞秀の作品はこの一点だったが、広景にしても、ついこの間知ったところで、次から次へと新しい名前が出てきて、調べるのも追い付かない。
そもそも浮世絵に興味を持って、一年も経っていない、その上っ面をちょっと齧ったぐらの初心者だ。
単純に、驚いたり、時めいたり、知ったかぶりしたりして、楽しめればいいと思う。
暁斎については、只今、bunkamuraで「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎! 世界が認めたその画力」が開催中で、チケットはゲットしているものの、先に終了を迎える展示会を優先しているので、4月に入ってから行くことにしている。
だから、今回が初めて見る暁斎だったが、やはり個性的だった。
いや、違った。昨年の4月、練馬美術館の「国芳イズム— 歌川国芳とその系脈」を見に行ったとき、一門の作品も展示されていたので、その中に歌川国芳の弟子である暁斎の作品もあったはずなのだ。
しかし、まだ浮世絵の絵師について全くの無知な段階で、残念ながら鑑賞したという記憶がない。
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河鍋暁斎「東海道名所之内 那智ノ瀧」 |
画面の半分近くを滝が占める型破りの構図で、そのダイナミックな流れを表現する暁斎。
ついでに、前半の展示だった、広重の滝の画も比べてみる。
こちらも劣らず大胆で、構図も色彩も渋くて、うっとりするほど素敵。
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歌川広重「六十余州名所図会 美濃 養老ノ瀧」 |
滝の流れを大胆かつシンプルに表現。歌川広重が描いた、現在の岐阜県にある養老の滝です。滝の藍色の部分に薄っすらと見える線は、色板の木目。大事な滝の表現を彫師や摺師の技にゆだねるのが広重らしいところです。(同上twitterより)
私のすぐ後ろにいたカップルの、男性のほうから、「お、暁斎!」と声があがった。
そして、女性からは、「建築家のジョサイア・コンドルが、暁斎に弟子入りしていたんだよね」との話が聞こえた。すると、男性の方はやや反応が鈍い。
そこで私も、「そう、コンドルの画(雅)号もあるんですよね!」などと、思わず合いの手を入れてしまった。そして、その女性と笑みを交わす。
やはり、浮世絵好きが集まっているなあと実感。
広重の作品も生で見た記憶はないが、あまりにも有名な『東海道五十三次』を、わりと手堅く地味な画と勝手にイメージして、それほど興味を持たないでいた。
ところが、いや何の、なかなかダイナミックで、粋で、華やかで、緻密で、繊細で、とても魅力的だった。
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歌川広重「名所江戸百景 蒲田の梅園」 |
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歌川広重「名所江戸百景 日暮里諏訪の台」 |
広重の浮世絵で一足早いお花見を。こちらは現在のJR西日暮里駅のすぐそばにある諏訪神社。かつては桜の名所で、高台にあったため見晴らしもよく、筑波山まで見渡せました。(同上twitterより)
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歌川広重「名所江戸百景 目黒新富士」 |
目黒新富士は丸旦富士に遅れること7年、文政2年(1819)に、幕臣の近藤重蔵が、その晩年、目黒崖線の三田村鎗ヶ崎の邸内に築いたものだ。 庶民ではなく、武士が屋敷内に作った富士塚という点で、丸旦富士との違いがある。 目黒に新しい富士塚ができたことから、一般に丸旦富士は目黒元富士(西富士とも)、そしてこの富士塚は目黒新富士(東富士とも)と呼ばれるようになった。(広重 Hiroshige「名所江戸百景」時空mapより)
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歌川広重 「名所江戸百景 上野自清水堂観不忍図」 |
桜が満開の寛永寺。境内の桜は吉野から植樹され、清水堂は京都・清水寺を模して造られました。(同上twitterより)
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歌川広重 京都名所内之内 清水 |
広重による清水寺周辺の桜の景。江戸時代も花見の名所として人気のスポットでした。(同上twitterより)
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歌川広重「江戸名所四季の眺 御殿山花見之図」 |
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歌川広重「六十余州名所図会 壱岐 志作」 |
壱岐に降る雪。空は暗く、寒い夜のようです。(同上twitterより)
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歌川広重「東都名所 浅草金龍山年ノ市」 |
雪の浅草寺。今も賑わう歳の市の様子です。(同上twitterより)
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歌川広重 「名所江戸百景 目黒太鼓橋夕日の岡」 |
雪の目黒。今と異なる風景がひろがります。(同上twitterより)
広重の風景画には、やはり構図のセンス、巧みさに、惚れ惚れさせられる。
風景全体を見渡すアングルと奥行き、樹や人の配置が絶妙で、自然や季節の味わい、風景に溶け込むような人間の営み、その一体感を醸し出す表現力に、たまらなく惹きつけられる。
北斎の風景画も素晴らしいが、広重の方が寧ろ、明るく親しみやすく、私の好みかも知れない。
北斎と言えば、1月に行った「すみだ北斎美術館」でも、日本全国の名所の画を見てきたばかりだが、しかし、今回の「江戸の絶景」では、なんと琉球を舞台に描かれた作品があるではないか。
それも二点出展されていた。
江戸の墨田から、琉球まで出かけて行くのだから、さすがの画狂人ぶりに唸ってしまった。
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葛飾北斎「琉球八景 臨界湖声」 |
しかし、本当に北斎は琉球まで足を運んだのだろうか。
年表を見ても、作品が描かれた天保3(1832)年頃に、出かけた形跡はない。
何しろ、そのとき北斎は、御年72歳を数えているのだから、まず不可能な話。
もしかしたら・・・と思って、太田美術館の twitterで探してみたら、やはりそうだった。
北斎は沖縄に行っていた!?こちらは北斎の「琉球八景 筍崖夕照」。琉球=沖縄の風景を描いた作品です。実は北斎、沖縄には行っておらず、『琉球国志略』という本を参考にして描きました。
こうした本の写しや、想像で描くことは他でもよく聞くところだ。
そして、わが歌川国芳も、二点ほど展示されていた。国芳の風景画というのも、意識して見た記憶がなく、イメージにもちょっと合わない気がする。
しかし、お侍さんが、着物の帯も締めずに着流して、虹に見惚れながら歩く後ろ姿など、やっぱりどことなくユーモラスで、国芳らしさが出ており、思わず口元が緩んでくる。
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歌川国芳「東都名所 するがたひ」 |
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歌川国芳「相州大山田村渡の景」 |
「江戸の相模川。夏の頃、大山詣のために田村の渡に向かうところです。濃い陰影やもくもくとした雲が国芳らしい表現。夏の雰囲気もよく出ています。」(同上twitterより)
他にも、初めて見る、二代目歌川豊国、渓斎英泉など、「江戸の絶景」をテーマとして、さまざまな浮世絵師が一堂に会する展示は、改めて面白いと感じた。
それにしても、「二代豊国」とは、多くの弟子を持った歌川豊国の死後、二代目を襲名した養子の豊重なのか、はたまた、その後、豊重が同門不承知で、自ら二代目豊国と称して君臨した国貞のことなのか?という疑問が湧いてきた。
帰って来て調べてみると、国貞ではなく、豊重の作品であった。
因みに、国貞は浮世絵師史上では、三代目豊国と呼ばれている。
その初代豊国に、歌川広重は弟子入りしようとして果たせなかったという。その広重の死絵(追悼ポートレートのようなもの)を描いたのは友人の国貞。歌川秀貞は国貞の弟子である。
同じ豊国一門で、兄弟子・国貞のライバル国芳は、晩年になって葛飾北斎に弟子入りしようとしたそうで、国芳の同い年の広重も北斎から影響を受けている。
更に、渓斎英泉は北斎を私淑して出入りしており、葛飾北斎と娘のお栄を描いた、杉浦日向子の漫画『百日紅』では、無名時代の英泉(池田善次郎)も登場しているらしい。(以前読んだが、記憶していない。今度映画を見て確かめる予定。)
そして、この永泉は『木曽街道六十九次』で広重とコラボしているそうだ。
ついでに書くと、葛飾北斎はちょうど一年前に見に行った、美人画で有名な勝川春章の弟子であるが、後に破門されている。
このように、「江戸の絶景」に集った江戸後期の浮世絵師たちだけでも、さまざまな相関図ができ上る。
それほど、江戸末期に花開いた化政文化期には、お江戸を舞台に、一大消費地を盛り上げる需要と供給、人的交流が入り乱れ、縦横無尽に拡がる町人文化の凄まじいパワーが炸裂していたのではないかと想像する。
ともかく、今回の展示の最大の収穫は、何といっても歌川広重の画を見て、その素晴らしさを実感できたことだ。
ヒロシゲ・ブルーや大胆で個性的な構図が、モネ、ゴッホなどの印象派の画家たちを魅了し、どれほどインパクトを与えたか、初めて理解できたような気がする。
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左:広重 右下:北斎 右上:モネの構図の類似例(wikipediaより) |
あれこれ、知れば知るほど面白くなってくる浮世絵の世界。
気長に、この楽しみを続けていきたい。
じっくり浮世絵を鑑賞したあとは、アイランド・ヴィンテージ・コーヒーで一休みしながら、見てきた絵を頭の中で振り返る。
それにしても、「アサイーボウル」は美味しかった!
さて、次回の太田記念美術館の展示は、4月1日から始まる「浮世絵動物園」。
なぞの動物、「虎子石」に会いに行くのが、今から楽しみだ。
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あなた動物? |